2023年11月3日金曜日の深夜23時30分、私はロンドンのヴィクトリア・コーチ・ステーションにいた。
イギリス全土、さらには海峡をわたってヨーロッパ方面にもバスが出ているという、一大ターミナルである。
廉価な高速バスを利用する者の民度はお世辞にも高いとは言えず、壁際で寝袋を広げている人がいたり、トイレから異臭が放たれていたり、なんとも旅情を高めてくれるような治安の悪さであった。やけに湿度の高いターミナルで15分ほど待つと、乗る予定のバスが呼び出された。ロンドン・ガトウィック空港に向かうバスである。
1時間半ほどバスに揺られ、日付が変わって11月4日の1時40分に到着した。といっても、今回乗る飛行機は朝6時の便。一番安い航空券を求めるあまり、空港での徹夜という道を選んだのである。実はこの時かなり風邪をこじらせていたので、航空券を購入した時の自分を呪いながら深夜の空港を徘徊し、離陸まで時間を潰した。
今回利用したのはWizz Airというハンガリー・ブダペスト拠点のLCC。3000円台という、逆に安全性が不安になるほどの衝撃の安価だった。今更不安が頭をもたげ、幸か不幸か大いに余っている時間を使って「Wizz Air 安全」「Wizz Air やばい」「Wizz Air 墜落」などと、縁起でもない検索を繰り返しているうちに、いつの間にか身体は飛行機のちゃちな座席にすっぽりとおさまっていた。コストカットの企業努力とはいえ、座席のリクライニングすらないのには驚いた。
そこから着陸の瞬間までの記憶はほとんどない。墜落死の恐怖すらも、風邪をひいた人間の徹夜明けの睡眠欲の前ではまったくの無力であった。
ともかく、スペインである。到着したのはマラガという街で、ピカソの生誕地として有名な地中海沿いの街である。じっくり観光したいところだが、日程の都合でここでの滞在時間は13時半までの4時間。時間との戦いである。まずはどこを回ろうか。
脳内会議の結果、食欲の声のデカさにあっさりと屈した。せっかくなら名物をということでチュロスが食べられるカフェを見つけて入ろうとするが、お一人様にはなかなかハードルが高く、まごまごしてしまった。このままではマラガの街を見る時間がなくなってしまう。
そこに救世主が現れた。女性が2人のテーブルを1人で占領しているではないか。千載一遇のチャンスである。勇気を振り絞って、声をかけた。無事OKをもらった。
聞くと、ポーランドから旅行に来ているという。こういうひょんな出会いから世界中の人々と繋がっていけるんだ、と勝手に感激した。憧れていた「旅人」の端くれになれた気がした。
しかし、感動も束の間、手早く完食したお姉さんは雑談もそこそこに「友達を待たせてるから」とそそくさと去っていた。本当に友達を待たせているなら、カフェでチュロスなんか食べている場合だったんだろうか。色々な想像がよぎるが、考えない方が精神衛生上良さそうだ。
失意のまま、両替所を探して歩く。一番レートが安いとGoogleのレビューで評判だった両替所、というか金券ショップに行くも、地元民が列をなしていた。他にも両替屋は星の数ほどある。しかし、生来ケチな私は良いレートのためにしばし並ぶことにした。
しかし、何だか様子がおかしい。列の先頭が、特に揉めている様子もないのに全くもって終わらない。どんなにややこしい両替やら質入れをしているのか。もしかして、両替所というのは表の姿で、実はマフィアのアジトか何かなのではないか。そう思うと、窓口でのやり取りも怪しげな取引の計画に見えなくもなくなってきた。それとも、窓口で「ステーキ定食 弱火でじっくり」に相当するスペイン語を投げかければ、裏にある部屋に案内されてハンター試験が始まるのだろうか。クソガキにぶつかられて注意しただけで八つ裂きにされるのだろうか。あの2人本当に可哀想だった。
我にかえり、怒りの撤退。結局ここで20分を無駄に費やし、街中の観光客向けのところで両替した。時はすでに12時半。もうあと1時間しかない。ここから怒涛の駆け足観光をスタートする。
以上の場所を1時間で回りきり、最後は高台の展望台から下り坂をダッシュして、ネルハ行きのバスにかろうじて間に合った。最後の展望台は時間のことを考えたらスキップすべきだったのだろうが、とてもいい景色で、大汗をかいてでも行く価値はあったと思う。
振り返ると、マラガで入った建物は何の変哲もないカフェとマフィアのアジトと観光客向けの両替屋の3軒しかなかった。1時間でめちゃくちゃスポット回った達成感によってうやむやになっていたが、結局どんな街だったのか、正直よくわからないままである。